余談:私が在宅ワークをするに至った経緯
今でこそ「在宅ワークはやめられない」「バラ色の生活」などと言っているが、私が今の生活に落ち着くまでには紆余曲折があった。
それまでの様々な社会生活を経て今に至る訳で、随分遠回りしたなと思う事もあった。
人間誰しも楽をして生きたいものだ。
できるならしんどい想いや人に気を遣って仕事をしたり言いたくもないお世辞を言ったりもしたくない。それなら誰にも気兼ねなくのびのびと家で仕事ができればどんなに精神的に楽だろう。
心の健康にはそれが一番なのかもしれない。
だったら余計な回り道なんかせずに、最初から在宅ワークしてた方が良かったのかと問われると、そうでもない。
「心の健康のために、一番楽な道を最短距離で選ぶ」
本当にそれだけでいいのだろうか? いや、そんな事はない。今の自分があるのは、紆余曲折があったからだ。
ここからは余談であるが、私が何故そのような考えに至ったかを、そして私が「在宅ワーク」をするまでの経緯を簡単にお話したいと思う。
私は小さい頃から人見知りで、なかなか苦労したものだ。
人と喋る事が苦手でうまく会話もできず、様々な誤解を招いてしまった記憶も数え切れない程ある。
幸いなのは私がひとりが嫌いではなかった事だ。
小さい頃からどこか冷めた部分があって、無理に気の合わない人と友達になったり面白くない会話に愛想で笑ったりするのは嫌だったし、他人の評価を気にしたりする事もあまりなかった。それならひとりの方がいいやと思っていた。
できれば「目立たず影のようにありたい」と思っていたのだ。
そうすると意外な事に物好きなクラスメートが「どういう子なんだろう?」という興味本位か私と友達となりたいと言って話し掛けてくるようになり、少人数ではあるが少しずつ友達を作るようにもなっていった。
高校生になるとその友人に誘われてレストランでアルバイトをするようになった。
とは言え人見知りは相変わらずだったので、そこでももちろん色々苦労した。
学校と違って、気が合おうが合わなかろうが、スタッフとコミュニケーションを取らないわけにはいかないからだ。
他のアルバイトスタッフは、タイムカードを押してからも休憩室でいつまでも雑談したり仲間とカラオケに行ったり夜遅くまであちこち遊びに行ったりと忙しかったようだ。
私はそんな彼らを横目でチラリと見るだけで、夜9:00にタイムカードを押すとさっさと着替えて9:05には「お疲れ様でした!」と店を去っていた。
他のスタッフが少し遅れて上がった頃にはもう私の姿がない、という訳だ。
不思議な事に、ここでも「あの子はどういう子なんだ??」という風に逆に気に掛けられる現象が起こり、少しずつ色んな人に声を掛けられるようになっていった。
今から考えると、周りの人たちに感謝しかない。
こんな感じで学校とは違いたくさんの人と会話をするようになり、少しずつ人とコミュニケーションを取る事に慣れてはいったが、学校を卒業して就職した後の社会はこれまでとはまた全然違った。
社会に出ると、みんな自分の事で必死だ。他人に本気で構ってる場合ではない。私が人見知りだろうが何だろうが、仕事さえきちんとしていれば誰も文句は言わない。そんな事、気にもされない。
もちろんミスをすれば容赦なく叱責をされるし、理不尽な事も山ほどあった。だけどそれらの経験は私にとっては社会というものを知る上でありがたい事だったように思う。
仕事の面では様々な職種を経験する事になる。
最初はとにかく何か仕事をする必要があったので、「向いている」「向いていない」に関わらず今自分にできる「一般事務」を選択した。
それから百貨店の販売員や営業事務、パソコンオペレーター等も経験した。
パソコンオペレーターをしながら、チラシ等を作成するためにIllustratorとPhotoshopのソフトを渡された。誰も使用した事がなかったので、それらのソフトを独学で学びながら今思えば随分下手くそなチラシを作った。
だけど小さい頃から絵を描く事が好きだった私にとって、デザインや何かを作るという作業は楽しくその経験は現在の在宅ワークに繋がる第一歩になった。
それから更にパソコンの知識を広げたいと派遣で印刷会社にも行ったし、とある企業ではかなりややこしいExcelの関数も叩き込まれた。
ある程度のパソコンソフトの知識を身に着ける事ができ、仕事にも自信がついて来た頃……
私って、人見知りを克服できれば恐い物なしなんじゃ?
という考えが浮かんだ。
いつでもどんな時でもついて回ったこの弱点。これがなければもっと楽しい学生ライフや社会生活が送れていたかもしれないのに!
そう思うと、あえて苦手な仕事を選んでみたくなった。
正直レストランのホールや販売員の仕事も苦痛だったが、決まった事を言えばいいだけなのでなんとか乗り越えて来れた。ただ、マニュアル通りの接客しかできない自分が嫌だった。
そこで思いついたのが……
よし、パソコンのインストラクターになってやろう!
幸い後輩にパソコンの操作等を教えるのは好きだったしわかりやすいと言って貰えていたので、「もしかして人に何かを教えるのって、自分に向いているんじゃ?」と思った。
ただ、インストラクターはお金を出して教えて貰いに来るお客様が相手。お金を貰って教えて貰っている後輩とは違う。立場が真逆なのだ。ニコニコとコミュニケーションを取りながら、わかりやすく丁寧に教える事はできるだろうか?
でもそれができれば最大の弱点、人見知りも克服できるのでは? と思った。
インストラクターは何年やっただろうか。
人に笑顔を向けながら会話する事にも慣れ、人に教えるために自分も更にパソコンの知識を深め、幸い「わかりやすい」と言って貰え、更に仕事に対して自信を深める事ができるようになっていった。
その後は本格的にIllustratorやPhotoshopを使用したデザインができる会社にも勤めた。
それから更に年月は流れ、ある程度自分ひとりでパソコンを使った仕事ができるという事に気づき……
やっと今の「在宅ワーク」に辿り着いたのだ。
今思えば、たくさんの企業に勤め、正社員、アルバイトやパート、派遣も含め色んな経験をさせて貰った。
ただ「仕事が嫌」「人間関係が嫌」という理由だけではなく、確実に次のステップに進むための転職ができたんじゃないかなと自分なりに思う。
それで、肝心の「人見知り」はどうなったかというと……
今でもはっきり言って人見知りだ。だけど、社会生活にはほとんど差支えないまで克服できたと思う。
小さい頃からの感覚で、自分に合う、合わない人というのは本能でわかる。そういう人とはどう頑張ったって合わないのだ。そして、昔と変わらず無理してお互いに合わせる必要はないと今でも思っている。
今は「在宅ワーク」なので人と直接顔を合わせる事もなく仕事をする事ができ、最終的に辿り着いたこれが自分に合ったスタイルなんだなと満足している。
だけどここに至るまでの経緯があったからこその結論だ。
最初から諦めたり逃げたりするのではなく、あえて苦手な仕事(ホール、販売、インストラクター)を自分で選び、弱点は”弱点”ではなく、自分の一部となった。
そのお陰でかけがえのない人達に出逢う事もできたし、しっかり人の目を見て笑顔で会話する事もできるようになったし、知らない人に声を掛ける事もできるし、困っている人を助けてあげたいという想いも芽生えたし、譲れない自分の意見をしっかり発言できるようにもなった。
「できるだけ目立ちたくない」というのは相変わらずだが、自分の意見や考えが少しでも人の役に立ったり難題に一石を投じることができればどれだけ幸せだろうと思う。
ひとつ言えるのは、
精神が崩壊する我慢はしなくていい
精神が成長する我慢、辛抱はした方がいい
精神が成長する我慢、辛抱をする事によって困難を乗り越えれば、知らなかった自分を発見したり思わぬ出逢いがあったり、新しい世界が見えて、人生は大きく変わる事もあるのだ。
それらは私の財産であり、全てが何にも代えがたい経験・歴史になり、今の私を作ってくれたのは間違いない。
スキルのフリマ【ココナラ】